地域
上浦・深江地域
名称
与一郎悲話(よいちろうひわ)
所在
臼杵市大泊
備考
昭和56年7月調べ
説明
歴史的事件の表舞台と裏舞台、そのなかには悲喜こもごもの話が秘められています。なかでも、悲話というのは一種独特のひびきをもって聞く人の心を誘い、同情と哀愁の気持ちをかきたてます。
昔から「判官びいき」という言葉が示すように弱い者、或いは悲劇の主人公などに対しては、多少の道理を超えても後援するという気質が、日本の風土の中でつちかわれているため、悲話は自然な形で人々の中にとけこみ、語り継がれています。
臼杵にもこの種の話は多く、特に戦国時代に生きた武将とその一族の運命にまつわる話は、かなり伝えられています。その一つに与一郎悲話があります。
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